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身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ

リアルライブ 2011年01月28日

 今西乃子・著/浜田一男・写真『犬たちをおくる日』(金の星社/2009年刊/税込1,365円)の紹介記事をネットで読んだ。飼い主が連れてきたり外で捕獲されるなどして貰い手もないまま殺処分されるイヌやネコの姿と、動物愛護センター職員の仕事ぶりや胸の内を伝えるノンフィクション本だそうである。

 その紹介記事中にも出てくる「身勝手な飼い主」という言い回しは、ペット問題を語る文章で必ずと言っていいほど良く見かけるもの。動物の命を軽視する風潮を非難する言葉だ。僕自身も憤りを感じる一人だが、それでもこのフレーズを目にするたび、ペットにまつわる悲しい記憶がよみがえり、激しく苦悶してしまうのである。

 幼い頃から実家で一緒に育った飼い犬のゴローとは、幼なじみ同様に暮らしてきた。けれども犬の成長は早く、僕が中学に入る頃には、人間でいえば60歳。番犬として家の前の犬小屋に繋がれていたが、ある冬の日に近所の子供たちから、雪玉を投げつけるなどしてイジメられた。僕より学年が下の悪ガキどもの仕業である。叱りつけたらすぐに逃げて行ったものの、その時にはもう手遅れで。

 ゴローはすっかり人間不信に陥ってしまい、家族以外の人間が近づくと猛烈に吠えたてるようになった。それ以降「猛犬注意」と触れこんでは、慣れない人が近づかぬよう注意してきた。ところがある日、妹がエサをやろうとしている時に知り合いが訪ねてきて、妹が「危ないからダメだ」と止めても「大丈夫」といって聞かずに近付き、腕を噛まれてしまった。

 完治までに日数を要する大怪我となり、父は責任をとってゴローを殺処分すると言いだした。「知らない人を噛んだのは、番犬としての役目を果たしただけなんだ。どうして殺さないといけないの?」泣いて懇願しても「いったん人の血の味を覚えたイヌは、癖になってまた噛みつく」として譲らない。数日後、学校から帰ると犬小屋にゴローの姿はなかった。それから何日もの間、愛犬のことを思って泣いた。

 当時、我が家ではネコも飼っていた。ゴローもそうだったがペットショップで購入したのではなく、増えすぎて飼えなくなった知人から貰い受けたのだ。しかし僕ら家族の住む社宅が老朽化のため取り壊されるとこととなり、引越し先はペットを飼うことが禁じられていた。そこでさらに貰い手を探したものの、見つからなかった。

 3匹のうち1匹だけ貰ってくれるはずの友人の親が「やはりダメだ」というので自宅に連れ帰ったところ、身の危険を感じてパニックになったのか、どこかへ消えてしまった。翌朝、車に轢かれているのを僕が見つけ、父に手伝ってもらい埋葬した。数日後には、もう1匹も後を追うようにして事故死。最後の1匹は何とか親戚に預けられたが、先住猫と折り合いが悪く家出したまま帰らないそうである。

 これらの体験によって植え付けられた悔しさ悲しさ、そして何よりも拭いがたい罪の意識から、もし今後またペットを飼うようなことがあれば、絶対に一生面倒を見ようと子供心に決意した。しかし何もできなかった無力な僕は、やはり世間から見れば「身勝手な飼い主」の一員なのだろう。

 僕が子供の頃に、人を噛んで殺処分された犬のゴローや、事故死するなどしていなくなった猫たち。こうして思い出してみると、可哀想なことをしたと思う。決して虐待していたわけではない。けれどもペットを飼っていることそれ自体が、まるで虐待であるかのようなことまでいう人もいる。しかし実際に何もしてやれないからには、飼っているかどうかに関わらず、誰もが身勝手な人間の一員に過ぎないだろう。

 殺処分に当たる保健所の職員は、何もしてくれない人たちの尻ぬぐいをしているのであって、飼い主だけを責めたところで状況は変わらない。ましてや「愛犬チロの敵打ち」と称し、元厚生事務次官らを殺害した小泉毅被告のように、行政を憎むのはお門違いだ。

 全国で殺処分されるイヌやネコは、1年間で30万匹前後にも及ぶそうである。うち3割が犬で、7割が猫。ここ10年で半減してはいるが、減っているのは犬ばかりで、猫は横ばい。8割が生まれて間もない子猫だそうである。事故や病気や飢えで死んでいく野良猫が不憫で、去勢や避妊手術をボランティアで行っている人もいる。自分で飼えればいいのだが、それにも限界がある。

 手術を受けさせるのも人間のエゴに見えるかもしれないが、少なくとも既に生まれている命が天寿を全うできるだけでもマシだろう。殺処分数が4年連続で全国ワースト1位だった福岡県の動物愛護センターでは、昨年8月から去勢や不妊手術を無償で行うようにしたそうである。

 もし国家が殺処分せずに全ての犬猫を飼うとしたら、どうなるだろう。100匹の猫を飼う社長令嬢なる人がテレビ出演し「月100万円かかる」と言っていたことがある。1匹当たり1万円ということになるが、さらに3割程度にまで抑えたとしても、10年で300万匹なら、毎年1,200億円。国家予算が90兆円として750分の1。多いと見るか少ないと見るか、難しいところだ。

 身勝手な飼い主は身勝手ゆえに、どんなに飼うなと言われても飼っては捨てるだろうし、何らかの理由で飼い主の下を離れ、そのまま処分されることもある。動物は自由に生きられるのが理想かもしれない。しかし野性の熊でさえ里に降りてくるこのご時世。人間と共生しながら代を重ねてきた彼らが、野性環境で問題なく生きていけるかは疑問に思えてならない。

 だからこそ僕らには責任がある。もはや誰が悪いという話ではなく、これは人類全体の罪なのだ。自分だけは悪くないなんて、言い逃れることはできない。誰もが等しく罪を背負って生きていくべきなのである。できれば罪なき彼らの世話に一生を捧げながら!

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